上善若水。水善利万物、而不争。処衆人之所惡。故幾於道。居善地、心善淵、与善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。夫唯不争、故無尤。
上善は水の若(ごと)し。水は万物を利して争わず。衆人の悪(いと)う所に処る。故に道に幾(ちか)し。居(きよ)の善は地にあり、心(こころ)の善は淵(ふか)きことにあり、与(とも)の善は仁にあり、言(ことば)の善は信にあり。正(せい)の善は治にあり、事(こと)の善は能にあり、動(どう)の善は時にあり。それ唯(ただ)争わず、故に尤(とが)むること無し。
最上の善とは水のようなものである。
水は万物に利を与えてしかも争うことなく、人々が嫌う低い土地に集まっている。
したがってその有様は「道」に近いものだ。
住まいの善は地面の上に住むことにあり、
心の善は奥深いことであり、
友であることの善は思いやりである仁にあり、
言葉の善は誠意あることにあり、
正しいことの善は自分が治まっていることにあり、
事業の善はただ自分のできることを行うことにあり、
行動の善は時を外さないことにある。
水のように争わないのであれば、恨まれることもない。
どんな形にも対応して自らを変形させる柔軟性、
低いところへ流れていく謙虚さ、
長い時間をかけて地形を変えていくエネルギーとその持続の力。
水の特徴をうまく捉え、そのように生きることを勧めているのは古代中国の思想家、老子である。
水は、陰陽五行説のなかでその一つを占めている。木にエネルギーを与え、火を打ち消す存在である。
五行思想のなかでは「水」は北の方角に位置する。その他に与えられている役割は次のとおりである。
色 黒(玄)
季節 冬
気 陰
日 水曜
星 辰星(水星)
獣 玄武
塵 声
器官 耳
音 羽
調 盤渉調
徳 智
経 易
声・耳が当てはめられているのは極めて興味深い。
世阿弥が主張する幽玄の「玄」、能において特別な意味を持つ盤渉調(水にまつわる曲にのみ当てられるが、この五行思想によるものだろう)が集約している。
冷えたる曲、しづかなる絵というのはそれぞれ世阿弥、等伯が理想とした曲、絵のことであるが、それらも五行思想でいえばここに位置するのではないか。
盤渉の音は通常ロ音(B♮)が当てはめられるが、羽の音(五音音階の第5音)は音階の中で最も高い音であるとともに、春=双調=Gとしたときに
G - D - A - E - B
春-土用-夏-秋-冬
と五度圏を駆け上って最も上に位置する音になる。
青春が春と青龍を組み合わせた言葉であるように、冬と玄武を組み合わせた「玄冬」は人生の幼年期と老年期をともに指す言葉となる。枯れてまた新しい生命への息吹となる玄冬は、無駄なプライドや目先の利益に左右されない達観した時代だろう。
上善若水とは、赤ん坊のように生きろと説き続けた老子らしい例えと言える。
人間関係に左右されないこのような生き方を目指すとともに、水の曲を作っていきたいと思う。
なお、上善如水のほうが広く知られている語句であるが、これは黒田官兵衛が変えたものらしい。老子の原文は「若水」である。意味は変わらないが、若水(わかみず)とよめば立春の日に主水司から天皇に奉じられた特別な水のこととなる。水によって一年が始まるのは興味深い。